>>> 2005     May
         Atelier Hana

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カーテンレールボックスの上で描く。
「天井あとりえ」

 

2005.5.31

3食、食べちらかす1歳児を育てながらできることって、とりあえずはここまで。
千住ではなかだえりさんやおじゃらさんの個展がめじろおし(ぜんぶひらがな)。
子供がごろりと、お荷物状態のときに行くべきだったかなあ。
いまでは、行った先でなにをしでかすかわからない。

こんなときは天井あとりえで製作するしかない。
夫が「絵は売れたか」ときいてくる。そう簡単には売れない。

売れる絵は、巧いのではなく、結果として魅力的なのだろう。
ゴッホや岡本太郎から、そういうことに気づいてきた。
巧くないことを嘆いたり許せなかったりするよりも、今の技術でとにかく
魅力的な結果を創造する事をすべきだなあと解ってきた。

2005.5.30

東京にいるうちに個展をやりたいという思いで、先の画廊喫茶をたずねて訊いてみたら
6月で閉店するという。・・・・・・・。

開かれている個展も知り合いに呼びかけてやっと開いているものだという。
しかも絵は売れてないんだろうなと思う。

ネットでも売れにくいけれども、画廊を借りて、
頭の痛い問題がたくさんあって、絵を売りたいほうも考え込んでしまう。

ネットで売れるのが理想だけれども、やはり実物をみていただく機会も必要なので
何らかの形で公開したいなあと思う。個展も、やりかたはいろいろあるはず。

それにしても絵というのは東京でなければ売れないか?という問題がある。
前に絵画販売会社の販促のチラシ配りアルバイトをした。場所は京都の奥地。
こんな田舎で絵が売れそうもない、と思いながら買ってくれそうなひと=金持ちそうな人
を選んでチラシを撒いていたら担当者の女の子がやってきて、
どうして子供を抱いたひっつめ髪の、(貧しそうな)あのひとに配らないのかと
注意された。最初皆に配ってたら、買ってくれそうな人に配れと注意されたばかりなのに。
そういう人でもこのあいだ40万円する絵をお買い上げになった、
だから配れ、という。

40万円の絵をお買い上げになったというより、売りつけられたというのが
正しい気がする。
ほんとうにお買い上げになる場合は、デパートの外商部をとおしたお金持ちへの販売が
多いのかも。それでも多分、2・3万円では売らない。(仕入れはそんなものなのかも)

だから、普通のアート愛好家が仕入れるためには作家から直に買うのがいちばん。
アートの育て親というのは、デパートで絵を買ったりはしない。

2005.5.30
いつどうやって絵を描くか。1歳児をもちながら油絵をやるという不可能性に挑む。
まずは考えてみた。登ってもどうやっても手の届かないところにすべての道具を移動して
そこで描く。そして見つけたのはカーテンレールボックスの上。
幅30センチ程度でL字型にトータル2メートルはある。そこで版画を製作。
あまり使わない油絵具をつかって筆やナイフで精肉トレーのきれいに洗ってカットした
フラットな板に描いて、そこに紙をおいてバレンで刷った。
仕上がりはいまひとつ。昔、パレットの絵具をそのまま刷ったとき
なかなかゲーシュツテキなものが出来上がった覚えがあって。
色はシンプルに2色程度がいいかもしれない。それも混ぜずに。

労力のわりには報われないので、この天井アトリエでキャンバスに描くことにしようと、
さっそく小型のキャンヴァスを積んで、パレットと絵具もセットした。
筆はカーテンタッセルのホルダーにコーヒー缶でつくったバケツを下げてそこに収納。
あとは時間の確保。まあ子供が起きていても描けるようにはなった。
10号ぐらいならタテの作品も描けそうなスペースであることに驚いた。

油は速乾性のものは有害性が高いので天然系のポピーオイルのみで描くつもり。
そんなことをしているうちに5月も終わろうとしている。
今年も日展には出せそうにない。

2005.5.23

5月が終わろうとしている、ほとんど画家らしいことは何も出来ない日々。
1歳児のパワーに振り回されてくたくたで一日が終わる。
それが2歳ごろになってふっと楽になると、友人は言う。
日誌ばかりが更新されるのもしかたないかなあ。絵について思うことをかきとめることで
のちに役立てよう。
最近、中国の人がブックマークしてくれていて絵を見てくれていたりする。
13億人もいたらそのうちの何十人かは私の絵を好きになってくれる気もする。

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2005.5.23

昨日は近くの時遊人という画廊喫茶にて油絵の個展があったのをみつけて
ちょっと入ってみる。ものすごい勢いの線で原色がほとばしっていたので
インパクトをうけたので。ちょっと岡本太郎を読んでいたりしたときだったというのも
あるかもしれない。
別に有名な画家さんというわけではないようだった。
大きな画面に惜しげもなく原色をぬりたくるというより描きなぐるかんじが
小市民のなぐさみには見られないなと思ったらやっぱり武蔵野美大出身の女性。

それにしてもこの手の作品で30号というのは小さいなあと感じた。
私のように30号作品に1年もかかわっているということはないだろうなあ。
絵はすべて似たようなかんじで、それがまたその道のひとっぽいと思った。
感動があたかといえば、情動的な感動はなかった。
それでもいろんな意味のタイトルがついているので「ふむ?」と
絵とタイトルの意味を関連付けようと努力し結果絵を見ざるをえないという
そういう「仕掛け」もわかった。その意味ではオモシロイ。

人の足を止めるのはインパクトで、納得させるのは作品の一貫性で、
プロだと思わせる要素の一部は、絵具を使う量と作品の大きさ、大胆さだと思った。
そして絵を見てもらうためには「しかけ」が必要だということも。

そうかんがえると自分はオモシロイ絵でもなく、「仕掛け」もないので
考えないと。

それにしても一度、これでもかというくらい絵具をつかった作品をかいてみるべきだと思った。

2005.5.16

  

 

休暇中に、笠岡にある竹喬美術館に行った。画家・小野竹喬の作品が収蔵されている。
そのいくつかが常設されているスペースでは、
彼の20代のころから80代までの作品が並べられている。

初期の作品は線も色もとともキュートなかんじ。大正ロマンの雰囲気。
つい足をとめて見入ってしまう。
日本画でもとてもロマンチックな表現になるんだと
発見したのは夢二がはじめてだったけど、似たような雰囲気。
少女趣味的といわれようとわたしはとても好きだ。
そして30代40代と、本格的な日本画の技術に忠実に
山水、花鳥風月を描いている・・・が、私はあまりこのような作品は好きでない。
後期になって再び若い時分の自由さとのびのびとした感性が、
完成度の高い大作となっているのをみたとき、とてもほっとした。
こんなふうに長く描いて同時にみずみずしい感性を昇華させたいものだと思った。

しかし晩年の完成されたものはそれはそれで、なにかトキメクものが
薄れた気がした。大成するというのはそういうことなのだろうか。
最期までほとばしるような、そんな絵が描かれているのは佐伯祐三がいちばんに
思い浮かぶ。セザンヌも晩年の作品になるにつれて動きと透明感に満ちていた。

ひるがえって、自分はほとばしるどころかカチコチニなっているなあ。反省。



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