>> 2005     April
         Atelier Hana
2005.4.28

夫のばかに大きいスーツケースに家族の荷物のあらかたを詰め込んで発送。
ヴァカンス、といっても行き先は岡山県笠岡市。
あまりに貧乏すぎて周囲の市から合併を断られてひとりでやっていくしかないという。
なんだかいつぞやの誰かに似ていて切ない。
それでもすばらしい風景の場所があり、日照もよく、海も近く、したがって釣りに出かけやすい。
小野竹喬の美術館もある。オノチク美術館のほうがインパクトがあってよい気がするけど。
(安っぽいかなあ)
ゆくゆくは「人生の楽園」を過ごすために笠岡に居を定めることになる、予定。
予定はあくまで予定で、もしかしてパリにいくとかいうことになるかもしれないじゃないか。
と、ときどき自分をどきどきさせてみる。どきどきするだけなら無料だし。
そうでもしないと老け込んでしまう気がする。精神が老け込んでは絵に出てしまう。

岡本太郎の「今日の芸術」を読む、岡本太郎といっても結局は半世紀も前の人で
内容も当時のもの。岡本太郎の熱気や知や日本文化や日本画壇のもやもやとした部分を
ばっさりやっているところなどは拍手したいくらい。
でも、いまやモダンアートも行き着くところまで行き着き、商業システム巧妙にすりよっており、
冒頭で横尾忠則氏が「もうそろそろ内容のない頭脳とアイデア以上のもののない表現から
人間に立ち返ったものを・・・」と書いているところをみると
モダンアートの畑にいるひとも悶えているんだなあと思う。

ひるがえって自分は、どちらかというとアカデミズムに足を引っ張られてアカデミックな
自己批判に絶望していたので、岡本太郎氏の言葉の一つ一つに明快な気持ちになった。
だからといって岡本太郎のような絵は描かないだろう。
彼はある意味、美術と商業の融合の頂点に立つことの出来たエポックメーカーであったが
永遠なるもの、芸術の真性に迫る芸術家の仕事、たとえばセザンヌやゴッホについて
私は賛成できかねる点がある。・・・そんな「ひねた」捉え方が彼の作品を産んだのだろうけど。

ゴッホもセザンヌもへっぽこ絵描きだと彼はいうが、まあ、私も巧い画家とはおもわないけれど、
21世紀になっても結局は人を引き込んでいく画面、筆致、そこには商業的なものは
「みじんも」感じられない。なかには祀り上げられたゴッホ、として分析する書もあるが、
結局は・・・画家と絵との間に交わされた濃密で永遠な交流、
それこそが芸術の真性の証であり、魂であろう、そして人々がその魂に心うたれる。
それは「型」や「流行」の問題ではない。

と、思うのだが、正論で食べていけるわけではないのであり、
食べていける画家の教えてくれる商業として成り立つアートのつぼを
別に勉強しておくことも、気が変になったりしないために必要なのかも。。。。

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2005.4.23
昨夜遅く家族が寝静まってから1時間、乾いたまま立てかけてあった30号に取り組む。
バラを描くことに集中。もうだめだ、こんなことではだめだ、と諦めたり投げ出したくなって
それでももう少し描いていると、ふとした一つのタッチが決まって
バラがいきいきとした表情に描けた。苦闘のあとのほんの5分間が決めてだった。
実りある時間だった。
2005.4.22
昨夜は家族が寝たあとに構図の勉強。テキストの作品からエッセンスだけを抽出。
抽出という言葉から抽象ということをちらっと考えてみる。
現代絵画も具象が多いけれども、抽象とないまぜになったイメージが多い。
絵を方式や写実・実景から解放して己の自由のままにさせた結果そこにたどり着いたのだろう。

しかし自家撞着してはいけない、常に進歩しなければ。
とりあえずエッセンスをもとに新しく描き始めなければならない。
とりかかることが、いちばん労力を必要とする気がする。
情熱がさめるとエンジンがかかりにくくなり筆もパレットもさびついてしまう、ということ。
情熱が肝要。

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2005.4.7
桜の満開の下をお散歩していた。降ってきた桜をお皿に載せてみた。
これだってアートといえなくもないけど、そうでないならなんだろう。生け花?
遠い図書館まで子供を歩かせながら大遠征。見るもの全てが大人にも輝いて見える。
子供ならなおさらだと思う。最初からとばしすぎて帰りはへとへとでした。初夏の気温。

図書館でデ・キリコの図録をみた。初期作品は多少その個性がみえているものの
安定してない作風。だれしもそういう時期があるのだろう。
私の見たことのない絵も多かった。びっくりしたのは、石膏のアポローの頭部だけが
赤いゴム手袋と並べて配されている作品。私の「アポローと静物」も、モチーフの
石膏像が砕けて頭部しか残っておらず、デ・キリコの作品と重なった。全くの偶然。
解説者は彼の精神面の不安を「断首のアポロー」と書いているが、
彼のアポローだって猫が飛びついたか地震で落ちたかで砕けたのかもしれないではないか。

いずれにしろ、アポローの頭部を私のような描き方をしてよいのか?という疑問に
YESを与えられた気がして安心した部分と、前例のない描き方をしたつもりが
デ・キリコに先に描かれていたという残念さとを感じた日だった。

2005.4.6

  

 

やっと暖かくなり、桜も咲き始めたとのTV。わが子を予防接種に連れて行きフトンを干し、・・・
そうして家事に追われて画家とはほどとおい生活。今年も日展には出品できない気がする。
あきらめて小品を製作していくことにしようかと思う。模写というのもいいかもしれない。
油絵の支度をするのと後片付けが大変というのが問題点。
わが子が歩きはじめ、思わぬところに手が伸びてくるというのも弱る。
とにかく、まあ、「追っかけられてる」というのはこういうことだなあ、とつくづく思う。



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