| 2005.12.22 |
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ことし最後の記事UPです。
絵が売れたのをはじめとして、画期的な一年でした。
来年からもますます盛んに描いていきたいと思います。
この日誌を読みに来られている方々の存在も大きな心の支えとなっています。
一年間ありがとうございました。来年からもよろしくお願いいたします。
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この段階でのこの印象を持ち続けること。
日が昇る。新たな門出。そして
水平線の彼方に希望を。
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| 2005.12.20 |
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今日はアトリエを大掃除。するつもりもなかったけど
積み上がったダンボールがとうとう荷崩れを起こしたので。
だいたい、置かせてくれと頼まれてものやらで
私の場所は不用品だらけになる。(アトリエというか物置)
まるで人生を反映している様だ。
いや、不用品だと決定るすまではそれらは不用品でない。
そんな問答をしていること自体が無駄なのだ。
ということに今頃気がつく。遅すぎ。
とにかく絵を描く場所はすっきりとした。
絵を描くためのコートを出しておくこと。
追記:フジ子・ヘミング・・・見ました。
壮絶な人生の不遇なトンネルをくぐりぬけて晩年花開いたひと。
でも芸大卒・画家を父に持ち、雑誌にも紹介され十代で
ラジオ出演・バーンスタインにチャンスを与えられ・・・と
やはり只事でない華と才能をもっている、しかし
「大事なときに不運」の連続。
だから人はそのドラマに惹かれる。
でも本人だとしたらそんなことより順調に開花して認められて
一定の地位を保ちつつ、というほうが芸術家として幸せだろう。
名声はあとからついてくるものなんだ。どういうものであれ。
種まきをして時間を経て花を咲かせるものだ。
彼女は自身から厳しかったか?というとむしろ
母親が異常に厳しかったという認められないからそれに報いるために
夢破れた母のために自分の人生をなげ打っていた一面もあり
不遇でも「人生はこんなものだ」と思うようになった。というのは
むしろ肩の力を抜いて「この道でなんとかやっていくだけでいい」ということか
それが彼女の日常であり、破れかぶれの夢を引きずって
それでも歩き続けたということだった。
どうなろうと、仕方がない、どう考えても仕方がない
そして歩き続けるということだ。
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| 2005.12.19 |
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金曜日の寒い夕方、ふいに訪れた瞬間があった。
窓の外、屋根の向こうに数十年は経たか、幹の赤い
雄雄しい松の木が雲と見まがう勢いで枝を広げていた
それが夕映えに神々しく迫ってきたのだ。
それを日ごろ絵のようだと思い絵であれを超えることなど
到底出来ないとおもったいたが
ついに私はスケッチブックにそれを描いた。
無心に描いた。
きっと銀座で見た鈴木信夫や荻須高徳の
画の魂が呼び起こしてくれたのかもしれない
そして描けない描くものがないという悩みの一部が氷解した。
挑みかかり細部を発見しなぞり、
瞬間を、しかと掴み取るという作業だった。
再び解体し構築するための糧なのだ。
のろのろとまるでカタツムリの這うように思う自分の腕に
時の流れが急流のようだったが
それを押し返す勢いで自分はヤルキニなれば進めるのだと思った。
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垣根に山茶花の映えて、師走。
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| 2005.12.18 |
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三岸節子の伝記をもほとんど読んでしまった。 貧困の極みも見たあとは、もう何も怖れなかったのか
それとも描けば売れるという綱があったからか。
売れたら売れたで生まれてくる悩みもあり、
ことさら人間関係において軋轢と後年まで戦い続けることになる
それは彼女の特質から来るのか
あるいは芸術の情熱に引き回される結果そうなるのか
後年のそれらの様子には暗澹とするものがあった。
そのなかから晩年、白い花をテーマに精力的に描いていたものがあるという。
「白い花」を私も描いたけど、ああ、なんだ、三岸節子も描いていたのだ。
アポローの頭部をデ・キリコが描いていたので先を越されていたと思った
あのときと同じで、がっかり嬉しい。
彼女のように売れて売れて売れ続けるというのも
楽しいものかと思いきやそれはそれで軋轢がものすごい
まず自分は売れてもないのでそういう思いが嫌かどうか以前の問題
家族間の軋轢、などというのは
芸術があってもなくても生じるものであり、
ならば絵と歩みながらそれらとつきあっていくのでよいかな。
ははは。
そういうのを背負い込まぬよう一人で住んだのがターシャだった。
どっちかというとターシャのような生活のほうが
自分には向いていそうな気がする。
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「聖夜」F3 クリスマスプレゼントにいかがでしょうか? 軽くてマンネリになりがちなクリスマスのデコレーションに 個性と深みを。
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| 2005.12.15 |
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テレビだのDVDだの言っているどころではない。 電子レンジが壊れてしまう。煙を出して。 この寒いときに壊れなくても。そういうものらしい。 今日は立川のBIGカメラでオーブンレンジを見て歩き さんざん迷ってやっと決めた。土曜日に出直そうかと思ったけど たぶんすごい人ごみでちゃんと見られなかったと思う。 薪のストーブとオーブンのキッチンで暮らしていたターシャ。 あなたは70年代も80年代もそうやってよく暮らしていたものですね。 考えてみると買い替えの必要もないし騒々しい店で迷う必要もない シンプルな生活ってことなのだ。でも。家事の労働はすごいと思う。
自分はこうして書いてる間に お鍋でたくさんのりんごのジャムを煮ている。というぐらい。
昨日は銀座に行った。東京にいる間に銀座の画廊というものを 一度はみておかねばならない、と痛切に思ったのは 三岸節子の伝記を読んでからだった。 多分東京に来なかったらこの本を読んでも「銀座?鷺宮?」 と、ちっともピンとこなかったに違いない。
初めての銀座の印象は想像と全く違った。 思ったより小さいという印象。 昭和通は京都の河原町の印象。河原町より広くて、ゴチャついてない。 三越前というのも思った以上に小さくて驚いた。 それでもひとつひとつのお店は確かにセンスはかなりのもの。
画廊というのは銀座の1丁目からたくさんあるようだけど どれもものすごく細いビルの一室にあるらしく、 エレベーターで登るか階段か。 ベビーカーでは、とても無理。 でも通りがかった画廊はエレベーターで入れた。
画廊の方は親切に接してくださった。 素描の展示があり、それらは鉛筆やクレヨンで描かれていた。 まるで子供の絵のようだけど描けない絵ですよねという話などして お値段の話も普通に出てくる、というのが美術館とちがうところ。 そこでリトなんかより直筆という価値観を確認させられた。 驚いたことに荻須高徳の直筆画があった。 そういうものが普通に、何気にある、というところが 銀座のすごい所だと思った。
そうした画廊にお世話になれる日がくるのだろう、画家となれば。 だけど自称画家なる人がすべて画廊のお世話になれるわけではない。 自分の世界と銀座が繋がりそうな日はありそうにないが、 そうなることを想像することができる、という材料を与えられたという ささやかな体験だった。
あの画廊に100号の絵は多分なかったと思う。
カフェでコーヒーを飲んで外に出ると 暮色迫る舗道にマロニエが金色に映えて美しかった。 そこは銀座でもっともうっとりした場所だった。
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| 2005.12.9 |
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土曜日にグレートマザー物語のテレビをみていて 次ははフジコ・ヘミングをするという。そういえばそのドラマを途切れ途切れ 見たこともあり。 激しさと懊悩のなかで悶えた末に芸術に光明を見出すまでを描いていた。 今週末。ちょっと期待。ビデオに録画できないというのが・・・。 だいたい2万円ほどで買った嫁入りテレビデオ14インチも 子供がビデオ挿入口にいろんなものを入れた挙句壊れてしまい。 買い換える話は1年前から出ては消え。 嫁入りテレビというより家出準備用テレビだったのだけどね。
むしろDVDかな。しかし今更ムズカシイ操作を覚えるのも面倒。 だいたい巻き戻しができないとか再生がマニュアル操作できないというのが 性に合わない。もっと進化するまで待つかなあ。
脱線した。フジコ・ヘミングを思い出すこと。
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| 2005.12.9 |
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小品4点を同時平行。 下書きの段階とそこから色を置いた段階。ここまでのかんじが とてもモダンなのに描きこむにつれてありきたりになるという パターンがある。ここからどう描くか。アイデアがまとまるまで 置いて眺める、離れては、また眺める。
「子供の夢を育てる仕事の本」というような 子供用仕事カタログみたいな本があり、開いてみると・・・ 郵便配達や銀行員から俳優・マジシャンまであり、 絵本作家・漫画家というところまであるのに 画家という仕事はない。
がーん・・・・・。
食っていけない分野を仕事として紹介するなという意見からか? 実際にそういう仕事の人はいないからか? またはこうやってお金が入ってきますというところを説明しにくい (夢のない現実をみせることになる)からか?
その全部だろうと思う。 この本がヨーロッパで出版される場合は内容がかなり違ってくると思う。
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| 2005.12.6 |
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昨日は滞っていた作品の下塗り。 子供が昼寝しかけたときに電話が鳴る、出ないでいる、 目を覚ましたので寝かしつけていてようやく再びうとうとしていると また電話が鳴る。さすがに気の長い私も今回だけは頭から湯気が出た。 結局子供は昼寝をしないので足元で遊ばせながらほんの少しの時間 作業しただけ。製作できたとはとてもいえない。
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| 2005.12.5 |
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年賀状・・・。一応レイアウトは考えとこう。やる気なし。 寒すぎて冬眠モードになっている。 読書もはかどらない。子供と遊んだり体験させたり 事故をしないよう見守り、寝かしつけ・・・ということを十分にさせることを 心がけていると、どうしても絵のほうが留守になる。 けれども昔からそうだけども、仕事が忙しくて放っていた間に 子供が事故にあう、といったことは多々あったので、 用心している、それでも事故をするものなのだ。
昨日は新聞で、ねじめ正一氏の記事を読んだ。 デビューする前は民芸品を売って店をしていて、 暮らしが第一、暮らし無くして何が文芸かという見識であったのが やはりその考えでは飽き足らず詩集を出し、・・・という経緯。
芸術に情熱が「あった」(今は憔悴している)という者なら 暮らしこそがという「まっとうな」考えに納得できないでいるはず。 私も「芸術するなら趣味で」「まずは自立して十分な暮らしを立てて 余裕が出来たら」と考えていた。
けれども、今は変わってきた。 三岸節子が夫を亡くして3人の子供と二人の病人を見なければ ならなくなったとき、一番まっとうな道は 「何か資格をとったり洋裁なんかの内職をする」ということか 又は病人と子供を預けて遮二無二働くということだと思うが 彼女はそうしなかった! (もっとも画壇に片足は入っていたという自負と手ごたえがあったから というのもあるのですが)
でも誰にでもできることとは違うよなあ。 私は真似できない。まず第一、貧乏に対する心配性が度を越えている。 ・・・けれども私なりに道を切開くことができないとは思っていない。
なぜか、よい絵が、素晴らしい絵が描ける気はしている。
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| 2005.12.03 |
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ものすごく寒くなってきた。 「炎の画家三岸節子」を手に入れてさっそく読み始め。 本は絵が少なくて少し残念。記述は少しムズカシイかんじ。 とにかく・・・子供を抱えながら絵を描き続けたその足跡を学びたい。 しかも彼女は極貧の天才画家の腕に飛び込んでいったわけで。
恵まれた経済状態に辿り付けた自分に比べると その大変さがまったく「聖なるもの」に見える。 けれどもそれは彼女が貧しさからくる愛憎を知らなかったからゆえに そんな行動をとれたのだ、怖いものしらずで。
私は知ってるから恐ろしくてとてもそんなことはできない。。。 それに加えて、現代では貧しいってことは伝染病のように忌み嫌われ 芸術の理想に燃えて赤貧に甘んじるなんていうのは 子供のたわごと以下。 確かに彼女の言うように良い時代だったのだろう。大正時代は。
いくら夢を描いても21世紀になって大正時代の芸術家になりたいなんて そんな夢はありえない。(女優で演じるって言うならあるのですが)
でも世の中にはターシャ・テューダーのように 18世紀のおばあさんの暮らしをを夢見てその夢を見事に実現できた そんな人も・・・すばらしい! どんなにお金を積まれてもターシャはあのお庭を譲り渡しはしない。
貧乏する運命だとしたら、 貧乏な芸術家・貧乏な弁護士・貧乏な社長のどれにするかといえば 迷わず貧乏な芸術家を選ぶ。 (貧乏なパート主婦という道はないことにする) というわけで、「これでいいのだろうか」と悩むことはないってことが わかった。
それにしてもさすがにもう少し暖房すべきだよね。 咳が出る、寒い。
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| 2005.12.01 |
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ブログというのは思ったよりアクセス少なくて、びっくり。 このHPにしたって、アクセスの一番多い言葉は「リュウマチ体操」だったりする。 そして「絵が売れた」という言葉にものすごい反応が。
絵が売れるというのは皆ものすごい関心ごとなのだなあ。 どうやったら売れるのか?ということを 皆、ものすごく研究しているのだ。
こうして記していると自分の考えはなんというか、営業的に動いてない。 気の向くままに書いていると詩的で曖昧なモノローグのみで。
アフェリエイトのハウツーをチラッと見てみると、 アナタも集客力UP!!!とか派手にタイトルを打ち出していたりする。 (このページも上の言葉に引っかかってくるひとが大量だったりして)
販売の仕事をしていたこともあるけど 人の商品に関しては驚くほどたくさんのキャッチコピーを即興で編み出せるけど 自分の絵に関してはそういうのができない、という性分。 昔から他人の弁護には口八丁だけど自分を弁護することが出来ないという どうにも損な性格だったものなあ。
というわけで問題点が明るみに出た。 自信をもってお勧めできるような素晴らしい絵を描くしかないということ。
子供はいたずらや反抗が出てきたので 来年、そして幼稚園に入るまでは多分絵はほとんど描けない気がする。 (とかいいながら今年は展覧会に出品したし。絵は1枚売れたし)
とにかく、段取りと体力。
そして考える課題。 「どうして40万円のマッサージチェアを月に3台売れても 15000円の絵を半年で1枚も売れないのか」
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