>200510 Octover 
    Atelier Hana

 

 oil_20051031izuminoapolo.jpg
「泉のアポロー」F30
現代社会の喧騒からの自由、という意味では
自由なんだけどね。
泉の向こうに希望の空が垣間見える・・・っていうところ。
前より下手になってる気がする。

   
2005.10.31  
 

三岸節子の絵に「ブルゴーニュのブドウ畑」という絵がある。
とても晩年の作品でとある美術館に譲られたというもので、真っ赤で重厚な画面いっぱいに
横にストロークの入っているもの。ダイナミックで力強くてシンプル。
でもそのタイトルがもし「岡山のブドウ畑」だったらどうだろう。
絵そのものの魅力はそのままだとしても・・・。

絵のタイトルというのは、ものすごくストイックに考えていたけど
けっこう自由でいいのだろうなあ。
一度でもイタリアに行ったことがあれば「アドリア海のバラ」なんてタイトルを
つけても罪悪感を感じなくていいんだけどなあ。
考えてみればどうせ架空の世界を描くのが画家なんだから
タイトルだって本当に見たことがあるかどうかなんて関係ないはずだし。

そんなことに誰もが罪悪感を感じるなら
時代小説や殺人事件を書く小説家なんていなくなるもんなあ。
なんで小説が書けなかったか、やっと思い出した。(遅すぎ)

近々、ブルゴーニュのブドウ畑、みたいなものを描いてみようかなあ。

展覧会では自由な発想というのがウケているようだ。
私の絵はカタイということだけは言える。
石膏のアポローでなくて生きてる女性だったらいいのかも。
今回の絵は前回の日展の出品作より画面が荒いというもの
難だった気がする。

 2005.10.25  

 

今日は世界堂のHPを見たら優秀作品がUPされていた。
でも私には「すばらしい」とは思えなかった。
テクニックや時流のセンスには、ああなるほどと思えた。
なんでもない、電車の乗客の服装に感心しているときのかんじ。
 
私は一枚の絵を完成したという以外では
全くの時間とお金の浪費をしてしまったことがわかった。
そして自分が美大に行かなかった理由を再発見した。

とにかく新しいキャンヴァスが届いた。
所詮、時代や一部の社会に擦り寄っていくという芸当はできない。
そしていつものあの場所に戻ってゆくだけ。
あの場所から、「目に見えない、言葉にならないテーマ」を探しに出かける。


  

 

 oil_2005_1026yact 001.jpg
ヨット」F4
模写?なので非売品

2005.10.25  
  100年も前の絵を模写しても未来に繋がる気配がない。
博物館の中の「美術品」と、「私」と、「アート市場」と。
絵が売れるには「アートの潮流」にのっからないといけない。
でも「私」の描く絵はどちらに進むか迷ってる。
まだまだ模索が続きそう。抽象と具象のどちらも描くということも
試してみようかと思う。

結局は、人が見なくなったというのではなくて
鑑賞できるかどうか(流行も含めて)なんだと思う。
アラが目立つとか時代遅れなかんじがするとかそういうのはNG。
みたいな。
2005.10.21  
  描きかけの模写があったので、とりかかった。
藤島武二のヨットの絵の模写のつもりがどんどんオリジナルになって
秋色の湖畔のヨットの絵ができてきた。ヨーロッパの風景。
キレイだけどありきたり、の非があると指摘されそう。
あとで画集を見たら、画集の絵のほうが古ぼけて見える。けど輝いている。
全く違う絵なんだけど構図と主題が同じという場合、
絵ではどう扱われるんだろう。
音楽や舞台なら、編曲や演出の違いということになるんだけど。
モネのひまわりとゴッホのひまわりはみたいなものだろうか。
(だいぶん違うような気がする)
完成一歩手前で乾燥。完成までの1歩が困難。
この模写は、キレイなだけで意味がない類のひとつになってしまった。

キレイなだけの絵で、意味がない。という批判をよく聞く。
キレイに描いているだけでそれ以上の意味がないということらしい。
でもね。キレイの対象のなかに描かれた「あの瞬間・あの生きた心地」というもの
「希望」「幻想」とか、そういうものを、見ることが出来ない人が増えてるんじゃないか
そんな気がする。むしろ読むというような。
画集の藤島武二の絵には「それ」があり、私の心を掴んだ。

私の場合、「それ」を描いているのだけど
見る人に伝わらないというのは、まだ鍛錬が足りないのかもしれない。
伝わったとしてもすぐ売れるというわけでもないし。
(売れるサイズの絵を描けるよう新しいキャンヴァス大量購入)

 
 

ph_2005_1010rosepink_bubun.jpg 
「ROSE」(部分)
F3

2005.10.19
16日夕方に続いて今日は夜8時44分に大きな地震。
続いているしなんだか不安。
落選から立ち直ろうとするのにもがくだけの日々。
そして今日、思い出した。
これがあるから絵の学校に行かなかったし、展覧会にも出品しなかった。
競争が大嫌いなのだった。
しかし今はどの世界も競争だらけだ。ああ。ああ。・・・ああ!

そういうものを廃した静かな、心潤う世界で、製作したいというのが
私の願いだった。アート界で脚光を浴びたいという目的は全くないのだった。
思い出してよかった。私の絵や世界を好きだというひとと
静かな心の交流が持てることが、絵を認められるということなんだ。
すくなくとも私にとっては。

何も描けないと落ち込んだ日々は、頑張ったごほうびとしてゆっくりする日。
必要な日だったんだと考えることにした。
2005.10.14
世界堂は落選してしまった。
いつもその理由を考えてしまう。一日、ぼうっとして空ろになってしまう。
理由なんて考えても仕方ないのだ。審査員のめがねに適わなかった。
それはアラが多いということだろうなあ。
もっとスバラシイ絵がたくさんあったのだろう。どんなスバラシイ絵なのだろう。
公募展に行ってみて賞をとった絵は抜きん出てすばらしく、
(といっても覚えている絵はほとんどない)
それ以外はピンキリというのが常であり、そのキリにも入らなかったのが落選になる。
その「キリ」のなかには、どうしたってヒドイ絵もある。

私の絵はそんなにヒドイのか?と落ち込む。
でもプラス思考で考えれば、「あなたの絵はもっと上手く描けるはずでしょう」
「もっとがんばってください」ということなんだ。うん。

賞を獲るのが目的じゃない。
画家になって、絵が売れて収入になる(すなわち画家ですと言えるようになる)のが目的。
映画で言えば、とにかくオスカーをとれれば名誉だけど
オスカーはとれないけど忘れられない作品に出たとか演じたとかそいういう俳優があり、
そして仕事をやり続けたという人生が自分に残り映画史上にも残ったというなれば
彼は満足。

言い換えればそんなかんじだろうか。
賞が取れないから絵をやめるというのは違う。
とにかくまあ、やり続けるということだろう。
肩の力を抜いて自由に描いて自分の世界を広げるほうがよい。
それにしても油絵はまだ1枚も売れてない。はは。。。
(売れる大きさの絵を描かないからだってば。)
2005.10.10

ピンクのバラの描きかけ作品を仕上げる。
アリザンクリムソン、ペリレンレッドなど使う。葉を濃い色で縁取るかどうか。
この緑の枠に身をよせているバラの作品は気に入っている。いくつか作ろう。
ポンパドゥール夫人の肖像で濃い緑のドレスにあしらったバラが印象的な
作品があった。誰の作品だったか思い出せないけど。
このバラの作品は自分では「ポンパドゥール夫人のバラ」とよんでいる。
また一作、仕上がった。
体がゼッ不調で喉が渇き、アタマはがんがんして気分も滅入っているわりには
今日もなんとか絵が描けた。

2005.10.8
 

メルマガとサイトに紹介されることになった。
「Genki−fam.net」というサイトで、子育て中のママの元気を応援する
メルマガ&サイト。てれび缶のままぷりさんも参加してる。
ここでは子育てしながら起業したりブログで活躍したりする女性を紹介。
その一人として紹介されるということ。
記事掲載はもう少し先とのことだけど、本格的な紹介は初めてで。
楽しみ。

今日はそのリンクを貼ったり新しい絵をUPしたり。
下の絵は完成のつもりだけど。何かを連想する。
京焼の錦秋の器かなんかの文様みたい。
英文タイトルに悩む。瀬戸のバラでは売れそうにないし。
というわけで、「地中海のバラ」。外人が納得するだろうか?微妙。
もっとシンプルな絵にしたかったのになあ。
背景をもうちょっと加筆の必要あり。

 

oil_2005_1007nangokunobara.jpg
「南国のばら」 F3 

2005.10.6  
 

「庭のオリーブ」のオリーブをどうしても満足に描けない。
背景に空をすこうしだけ描きこんだのがどんどん広がって
とうとう海になってしまう。
そして手前をもっとインパクトのある主題に置き換えなければならなくなり
バラを描き・・・。
とうとう、想像もしていなかった絵になってしまった。
これは偶然の創造。それが結果として以前の手法の破壊。

三岸節子美術館のHPを覗いてみる。
3人の子供を持ちながら画家であったひと。
「恥多き人生」
彼女の手記にはそんな意外な言葉があるという。
画家という生き方の困難はそういった部分にもある。

そんな困難にはとても耐えられない気がする。
ああだめだ、こんなことではだめだ、といいながらも描くのであり、
才能なんてないのだろうかと、思いながらも描くのであり。

賞なんて取れそうもない。
賞であれ銀座であれ、足跡に、
それも何度も踏まれて干からびてしまった所に、
何十年も経って咲く花なのかもしれない。
(やってられない)
そういうものなのだ。多分。

2005.10.05  
  今日は早起きも出来ず、天気は悪く、したがって気分も沈んでいた。
今日も仕事が出来ないんだろうな。
と思っていたら、午後から油絵2枚と取り組めた。
行き詰まって「今日はおしまい」と筆を拭いていると子供が昼寝から覚める。

やらなくちゃいけないのをアトリエに置いておく。
手当たり次第に仕上げていくべく描きすすめる。
分からなくなったら一度寝かせる。
そしてくよくよしすぎないことだろう。
「庭のオリーブ」の2作目と「バラの花束」。
オリーブを上手く描けずに消してしまう。タイトルが変更になりそう。

 

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