>> 2005     August
         Atelier Hana
2005.8.30
なんでも鑑定団で佐伯祐三人物画がでてきた。大発見ということだった。
個人所有でありかつ個人の肖像なのでマーケットには出にくいけれど
2点で1000万円というのが最低ライン、という結果。
佐伯が生きていればどう思うだろうか。
けれどもそういったことよりも絵画の情熱にとりつかれて純粋を極めた人であるから
そんなものには淡白なのではと思う。
芸術家の人生も歴史とおなじく「たら」「れば」はない。
そして体も精神もぼろぼろになって30歳で亡くなった。
あの筆のスピードはは精神を急速にすり減らすに十分だ。

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2005.8.27
8月はほとんど何も仕事が出来なかった。(家事その他は山積みをこなす)
今が一番手のかかるとき、と検診に行ったときお医者さんは言った。
そんなときにでもできることだけをしようと思う。
2005.8.27
東京新聞にアジアの現代アートの記事があった。
現代アートの位置や意味を云々する部分が2段続いた最後に
それでも国際的競争に勝つエリート達に対して
「そこからこぼれ落ちざるをえない者たちを包み込む安らぎが乏しい」
そうしめくくられていた。
記者の人間としての精一杯の本音が見えて、なぜか勇気付けられた。
アートの著しい市場主義に対するレジスタンスがいつか起こり始めるだろう。
2005.8.25

蝉が一匹、転がっていた。
秋がそこまで来ているんだな。

政治の世界は閉塞と混迷と不信と期待が渦巻いている。
世の中の景気はあいかわらずよいとはいえない。

子供はどんどん成長しているようだけど、
育てる側は早くちゃんと食べれるようになってくれないかと思う。
そういうものであり、そういう時期は長いようだけども
実は束の間の短くも美しく楽しい日々であったりする。
ならばその時間を体いっぱいに受けていて後悔しないはずだ。

・・・それにしても不運なことにHP作成ツールHPmanagerが
環境のバージョンアップに耐えられずつぶれてしまった。
急いでHPビルダーの体験版をダウンロードする。
ああ、なんで自分がそれを買わなかったか思い出した。
あの使い勝手の悪いソフトと格闘した会社での日々を思い出した。
別のソフトはすぐ見つかった。alphaEDIT+。
シェアウェア2000円という。早速体験版使用。manager以上になじむ。
30日経つころには上達している気がする。
ソフトはシンプルで軽いものに限る。

OIL_2001MADO_009.JPG - 60,191BYTES

2005.8.12

夏休みの荷造り。昨日は病院の帰りに古本屋があったので立ち寄った。
ルーベンスの図録があったけど古すぎるうえに色あせていて
新しいものを求めるべきだなあと断念。美術手帳を手に取った。
絵というよりも限りなくデザインの世界にほとんどのアーチストが存在する。
そして展覧会スケジュールには数多くの若手アーチストの個展がある。
そしてページをめくると奇抜で異彩のオンパレードだけれども、
そのどれひとつにも「感動」しないというのが不思議である。
そして地球破壊的な営みにげんなりして疲れて店を出る。

現代ARTというのは精神や夢幻の世界とは無縁なのだとわかった。
現代ARTとは物質主義の更新にその役割をもつものであり、
意味づけや芸術性はあとで適当にくっつけられるようである。

私の絵の「仲間」はどこにいるのだろう。
もしかしたら絵本の世界にあるのかもしれない。
芸術の絵本ということになるとそれは図録ということになる。
画自体が売れるというのは現代ではほとんど難しい

となると図録として出版物にして世に出すという道もある。
良いほうに考えると、画家は絵を手放さなくてもいい。
そうか。

 

2005.8.8
流産にもいろいろとあるのだけど、初期の場合、手術は中絶のそれと
全く同じ内容になるのだそうだ。朝早く病院に行き、一日がかりでする。
手術前処置がものすごく、痛かった。そうして午後から全身麻酔をかけて手術。
一日といっても大半は麻酔で眠ってる状態。
命をなくしてがっかりしているところにあの痛み、なんて、
そんなのあり?と看護婦さんに愚痴をこぼす。

胃カメラを飲んだときのようにコトンと意識がなくなってふっと浮上する
ああいう麻酔を前処置のときもできないのか聞いたら、
それをすると本手術のときに麻酔が効きにくくなったりして痛くなるので
難しいのだ、ということだった。医の世界もまだまだこういうところを
改善して欲しいと思った。

2005.8.6
広島に生まれた(といっても被爆からは縁遠い場所だけども)者として
あのことを後世に伝えなければならない気がする。
戦争と平和と芸術と人生。さまざまに考えてしまう。
ヘルマン・ヘッセの手記を思い出し、夜更け、読んでみたりする。
文章も理念も想念も詩情も、こんなに心をうつのに
書物は5年前よりさらに黄色く黄ばんでいる。
1970年代に学生だった前所有者が書き付けたドイツ語の一文。
「新しき書物を買い来て読む秋の夜更け・・・」
2005.8.6

今日は原爆記念日。
でも今の自分は、小さないのちをなくしたことのその悲しみが寄せたりひいたり。

上の子供のいたずらや遊びにつきあって忙しくしてると忘れるけど。
あと2週間もすればそれも過去の古傷になるのだけど。

こういうとき、「原因」について考えすぎて自分を責めてはいけないと
同じ思いをする人に伝えたいな、と思う。
流産というのは染色体などが不適合で自然的にこぼれおちてしまうこと。
お花のこぼれ種のなかにも、発芽するものやしないものがあるし、
発芽しても水や太陽の加減で育たないものもある。
それを神様は罪や何かの罰として朝顔やひまわりに与えているだろうか?

2005.8.5

  

 

切迫流産・自宅安静の身で1W。子育ての本を読んだりしながら過ごす。
そんなことでまたお姑さんに来てもらったりして世話をやいてもらうことに。
当然お姑さんを送ったりしてくださる義弟様にもお世話になることになるでしょう。
いつもありがとうございます。
いつも、頼まなくても気を回してくれる夫があればこそ、なのかもしれません。

困難が重なるとどうしても凹んでくるのだけど、浮き沈みに負けないで進む。

美しいことは絵空事か?ということについて。

美しくないこと・辛いこと・悲しいことは、もう嫌というほどみてきた。
だから人々は天国や極楽浄土に救いを求めるんだと思う。
たとえそれが絵空事だと解っていても。
ありふれすぎて退屈になった社会では醜いものが刺激になるけれども
ありふれた日常から転落したとき
やはり清らかであったり、夢幻的に美しいものに救われる気がする。



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